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| Profile |
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| アメリカ南部ルイジアナ州のケントウッド(人口1200人!)というカントリー・タウンで育ったブリトニーは、 体操が得意でバスケが大好きという活発な女の子。元々歌やダンスが大好きで、家族や人前で披露したり、 地元周辺のタレント・コンテストなどにエントリーしていたが、そんな彼女が本格的に芸能界入りを考えるようになったのは、 8歳の時だった。
母親をくどき落とすと、車で約8時間をかけてアトランタへと出向き、
そこでディズニー・チャンネル(ファミリー向けのケーブル局)の子供向け番組『ミッキー・マウス・クラブ』の
公開オーディションに参加。ブリトニーは600人の応募者の中から最終審査の7人のうちのひとりにまで残るが、
番組には幼すぎるからと落選になってしまう。
だが、原石の輝きを彼女のなかに見い出した同番組のプロデューサーが、
ニューヨークにあるエージェントを紹介。
その後、ニューヨークのオフブロードウェイの舞台『ルースレス』に立ったり、テレビ・コマーシャルなどの経験を
積んでいく。
11歳になった時、再度『ミッキー・マウス・クラブ』のオーディションに挑戦。もちろん見事に合格して、
今度は年齢の問題もクリアー。歌に踊りに演技にと、すべてがキッズに求められる同番組のおかげで、
ブリトニー自身も"いい勉強になったし、自分が一番やりたいのは歌だと分かった"のだという。
番組の終了後、いったんは普通の学生生活を送ってみるブリトニーだが、その間に最終的にはやはりエンターティナー
になりたいとの決意を固める。
そして14歳になると、再びニューヨークへと出向き、ジャイブ・レコードと契約し、アルバム・デビューへと結び付いている。
98年10月、シングル「ベイビー・ワン・モア・タイム」でデビューし、アルバム発売の99年1月には、全米シングル&アルバム
・チャートで同時に1位を獲得し、ビルボードの全米記録の数々を塗り替える。
シングル「ベイビー・ワン・モア・タイム」は、アメリカで100万枚をセールスし、19ヶ国でプラチナム・ディスクを獲得。
その後、2ndシングル「サムタイムス」、3nd「クレイジー」、4th「フロム・ザ・ボトム・オブ・マイ・ブロークン・ハート」
(インターナショナル・4thシングルは「ボーン・トゥ・メイク・ユー・ハッピー」)をリリースしている。
デビュー・アルバム『ベイビー・ワン・モア・タイム』は、スウェーデンのマックス・マーティン
(バックストリート・ボーイズ、イン・シンク)や、エリック・フォスター・ホワイト(ホイットニー・ヒューストン、ブライアン・アダムス)
ら複数の先鋭プロデューサーたちをブレーンに配した強力盤で、全世界で2000万枚、アメリカだけで1200万枚をセールスし、
35ヶ国でプラチナム・ディスクを獲得。アメリカの99年アルバム・セールス・トップ3にバックストリート・ボーイズ、イン・シンクと
共に輝いている。そして、発売から1年以上経つ今でも、全米アルバム・チャートのトップ50にランクイン。
本名 :Britney Jean Spears |
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